~ペットボトルのキャップが開かない!~
この新聞記事を読みながら、妻の最近の愚痴が浮かんできた。
未だ開けてあげられる夫は直ぐに手に取って簡単に開けてやる。雑巾がしっかり絞れない、との妻からヘルプサインが出ると絞ってやることぐらい簡単なこと。妻も歩禅のスピードが以前より遅くなっていることは気づき始めている。
家の中で共に過ごすことが多くなったので妻の変化も掴める。決して老化が進んで心配で仕方が無いという状況ではない。介護のために郷里の九州で1年半ばかり移り住んだ日々の光景が浮かんでくる。それは、従兄の奥さんのセリフである。
一挙に還暦を迎えるんじゃないよね。徐々に、確かに1年に1歳ずつ加齢しているのは重々承知しているんだけど、節目の年齢に達するとしみじみと体調の変化を感じるのよね。65歳になると、更に現実は厳しいモノがあるんよ。それがね、70歳を超えた瞬間から「こんな筈じゃないよ!」と叫びたくなるほど老化を感じてしまうからね。いつまでも若いつもりでいるから間違いが起きるんよ。年寄りの仲間入りはイヤだけど実態を正しく受け入れて生きている人が長生きしてると思うんよ。
妻も彼女のセリフは覚えているようだ。
今年の2月に「年金受給者」の仲間入りをした妻である。2年前に受給者になった夫は、手続きの煩わしさを知っている(=知恵)で全ての事務処理に当たった。それも「一気にこの歳になるんじゃない」との彼女の教えを意識していたからである。学歴が無いとの口癖の彼女から、学歴のある(?)我々夫婦が学ぶことが多い。学校では教わらない内容が多すぎるほど存在することの証明でもある。
いつかは、いや、もう襲い掛かられている「老衰」の症状を真摯に受け止めなければなるまい。無理をしない対応策で「老衰と共に生きる」人生哲学を編み出さねばなるまい。大晦日の朝、静かな時間帯に「こんな事を考える」年齢になったことが、実は年齢相応だと考えると嬉しいのである。
決して情熱や意欲が欠落し始めている訳ではない。小生のブログ読者諸兄には、今更述べることではないだろう。
未曾有の大震災を体験した2011年を振り返ある。
震災直後の4月11日に予定通りに転居に踏み切った。48年間も住み慣れた神奈川県茅ケ崎市を離れて、ここ茨城県土浦市に移り住んだ小生の決断を無謀とまで言及されたが、「それは違う」とここでも述べておこう。
降って湧いたような転居話ではない。既に10年前から長男夫婦とは話し込んで来た「我が歴史」の流れである。その合致点がたまたま、東関東大震災と激突しただけのことである。
直ぐには老人にはならない。幾多の遍歴と共にしながら今日まで辿り着いている。そして、老脳には老脳なりの「眩しい程の明日の光」が差し込んで来ている。昨日のブログの発信者からも、全国の読者諸兄からも叱咤激励のメールが届いている。老化のスピードを弱める「栄養源」(=サプリメント)である。今朝も沢山のメールで元気を頂いている。
この年齢なりの来年がある。
お役に立たなくなったらそれなりの生き方もあるだろうから、その時点で考えるとしよう。従兄の嫁さんの言葉をしみじみ感じながら、さらに充実した2012年を「年齢なりの」人生哲学で、仕事(=たび)は続けたい。この熱い心を抑えるのに勝手に苦労をしている大晦日の朝である。
この新聞記事を読みながら、妻の最近の愚痴が浮かんできた。
未だ開けてあげられる夫は直ぐに手に取って簡単に開けてやる。雑巾がしっかり絞れない、との妻からヘルプサインが出ると絞ってやることぐらい簡単なこと。妻も歩禅のスピードが以前より遅くなっていることは気づき始めている。
家の中で共に過ごすことが多くなったので妻の変化も掴める。決して老化が進んで心配で仕方が無いという状況ではない。介護のために郷里の九州で1年半ばかり移り住んだ日々の光景が浮かんでくる。それは、従兄の奥さんのセリフである。
一挙に還暦を迎えるんじゃないよね。徐々に、確かに1年に1歳ずつ加齢しているのは重々承知しているんだけど、節目の年齢に達するとしみじみと体調の変化を感じるのよね。65歳になると、更に現実は厳しいモノがあるんよ。それがね、70歳を超えた瞬間から「こんな筈じゃないよ!」と叫びたくなるほど老化を感じてしまうからね。いつまでも若いつもりでいるから間違いが起きるんよ。年寄りの仲間入りはイヤだけど実態を正しく受け入れて生きている人が長生きしてると思うんよ。
妻も彼女のセリフは覚えているようだ。
今年の2月に「年金受給者」の仲間入りをした妻である。2年前に受給者になった夫は、手続きの煩わしさを知っている(=知恵)で全ての事務処理に当たった。それも「一気にこの歳になるんじゃない」との彼女の教えを意識していたからである。学歴が無いとの口癖の彼女から、学歴のある(?)我々夫婦が学ぶことが多い。学校では教わらない内容が多すぎるほど存在することの証明でもある。
いつかは、いや、もう襲い掛かられている「老衰」の症状を真摯に受け止めなければなるまい。無理をしない対応策で「老衰と共に生きる」人生哲学を編み出さねばなるまい。大晦日の朝、静かな時間帯に「こんな事を考える」年齢になったことが、実は年齢相応だと考えると嬉しいのである。
決して情熱や意欲が欠落し始めている訳ではない。小生のブログ読者諸兄には、今更述べることではないだろう。
未曾有の大震災を体験した2011年を振り返ある。
震災直後の4月11日に予定通りに転居に踏み切った。48年間も住み慣れた神奈川県茅ケ崎市を離れて、ここ茨城県土浦市に移り住んだ小生の決断を無謀とまで言及されたが、「それは違う」とここでも述べておこう。
降って湧いたような転居話ではない。既に10年前から長男夫婦とは話し込んで来た「我が歴史」の流れである。その合致点がたまたま、東関東大震災と激突しただけのことである。
直ぐには老人にはならない。幾多の遍歴と共にしながら今日まで辿り着いている。そして、老脳には老脳なりの「眩しい程の明日の光」が差し込んで来ている。昨日のブログの発信者からも、全国の読者諸兄からも叱咤激励のメールが届いている。老化のスピードを弱める「栄養源」(=サプリメント)である。今朝も沢山のメールで元気を頂いている。
この年齢なりの来年がある。
お役に立たなくなったらそれなりの生き方もあるだろうから、その時点で考えるとしよう。従兄の嫁さんの言葉をしみじみ感じながら、さらに充実した2012年を「年齢なりの」人生哲学で、仕事(=たび)は続けたい。この熱い心を抑えるのに勝手に苦労をしている大晦日の朝である。